2000年5月

このころから、なぜかバイオリンがやりたくてたまらなくなる。(注・実はちょうど個展の準備で忙しかった。その逃避行動であることは否定できない。)

バイオリン教室を探すべく、タウンページで調べて色々な所に電話してみる。生バイオリン購入を決意。驚いたのは旦那ちゃま。「本当に習いにいったりするのか」と仰天される。しかし、思い立ったら猪突猛進なkeroである。誰にも止められない。詳しい顛末はこちら。

2000年6月

ヤ○ハの無料体験レッスンに行ったり、駅ビルのバイオリン教室に行ったりするが、実は家から徒歩10分のご近所に鈴木メソッドの教室があることを発見。ここなら、仕事から帰ってきてバイオリンを持ってレッスンに行っても間に合う距離だ。

早速見学に行き、即レッスンを始めることを決意する。子供ばかりの教室なのに、これで一気に平均年齢がウン十歳ははねあがったに違いない。教本は鈴木の1巻とホーマン1巻。

6月29日、先生のつてで、ついにあこがれの生バイオリンを購入。嬉しさに舞い上がり、毎日色々なメロディーを弾きまくる。結果、筋肉痛と肩こり激化。

2000年7月

7月3日、記念すべき最初のレッスンを受ける。弓の持ち方。楽器の構え方。調弦のやりかた。 これが大変だった〜 ^_^; 未だにまともに調弦ができない私である。最初のレッスン曲はホーマン第一巻の開放弦の練習。のこぎりか、黒板を爪でひっかくような音しか出ず、重音はめためたであった。これでは調弦は無理というものだ。

最初の2回のレッスンは弓の持ち方、音出しの訓練に終始し、7月24日、初めて左手で弦を押さえるということをやる。音程の目安に指板にシールをぺたぺたと貼り押さえてみるが、最初のうちはちょっと押さえているだけで左腕が痛くなって大変だった。

2000年8月

「きらきら星変奏曲」を練習。屈辱に耐えつつ、鏡を見ながら弓をまっすぐに弾く練習を続ける。

2000年9月

続いて「ちょうちょ」「こぎつね」を練習。弦楽器特有の「楽器を鳴らす」ということを学習する。「こぎつね」では、弓をいったん弦から離して、再び弦に着地させるのが出来ずに「ぼよよん」と音を鳴らしてしまう。さらに、左手小指の押さえが大変で、筋が痛くなったりする情けないじぶん。

2000年10月

右手の弓のコントロールを良くするため、元弓、中弓、先弓、と、ぴたっと弦の上に音を出さないように置いていく練習をする。あと、弓先をE線にのせて、ぴん、と上げ弓で思いっきり音を出す練習をおそわる。

その他、弓先に洗濯ばさみを重りとしてつけて弾いたり、弓を逆さに持って弾いたりと、右手の弓の訓練をかなりやる。先生に言わせると、バイオリンは右手の重要性が7割だそうである。

2000年11月

11月6日、バッハの「メヌエット第1番」に入る。ピアノでも習った覚えのある曲。やっと童謡を卒業できてちょっと嬉しい。このころから、先生に音の表現や音程など細かく言われるようになった。

自分のバイオリンと弓を先生に渡して弾いてもらったら、ものすごい良い音が出たのでビックリ仰天する。

2000年12月

12月11日、鈴木教本第1巻最後の曲、「ゴセックのガボット」にようやくたどり着くも、このころ仕事が超忙しく、練習がはかどらない。結果、一ヶ月以上はたっぷりと絞られた。未だにスタッカートは苦手である。