サンクト・ペテルブルグに行きたい!

2000.07.03

私・keroは、小さいころとても病弱な少女であった・・・・。

うそお〜!と大笑いしているあなたは、 現在の超・健康なkeroを知っている人であろう。

今現在のわたくしは笑っちゃうくらい健康なんだけど、 それでも少女のころは病弱だったのである。 「人に歴史あり」とは私のためにあるような言葉である・・・・。

月に一度は発熱し(特に扁桃腺が弱かった) 発熱すればすぐ39度くらい高熱を発し、 学校もすぐ1週間位休んでしまうという、恐怖の虚弱体質だったのだ。 (これ、ホント!)

さて、小学生のころ、例によって扁桃腺を腫らし発熱して 床にふせっている娘を不憫に思ったのか、 母から一冊の本が与えられた・・・・。

それは子供向けに少々手を加えられてはいたが、あのロシアの文豪、 ドストエフスキーの「罪と罰」だったのであ〜る。

「げっ!!すごく固そうな本じゃないかあ!!」 ・・・と小学生のkeroは思ったものだ。

「どうせなら週間マーガレットか、ルパンの挿絵入りのやつとか、SFがいいのになあ〜」

しかし、マイ・マザーの「教育的見地」で選ばれた固そうな本が、 その後、我が座右の書となろうとは・・・・ その時は想像だにしなかった、少女・keroだったのであ〜る。

高熱でふらふらしていた時に、「罪と罰」を読んだ。 これで私の脳みそに、このお固い本が妙に印象づけられたのである。

そもそもロシア文学って、とっつきにくいのホームラン王みたいなもんだ。 トルストイの「戦争と平和」なんて、登場人物が2000人も出てくるし、 人物の名前を覚えるだけで試験に出る英単語を暗記するような苦行を強いられる。 おまけに。ロシア人の名前っちゅうのがこれがまた・・・(^^;)

本名がアレクセイだったら愛称がアリョーシャだったり、 ソフィアだったらソーニャだったり、それだけでなくソーネチカと呼んでみたり、 名字を呼んでみたり。

さらにさらに「父称」つうのもあって、 「ソフィア・イワーノブナ」っつうのが誰だったっけ、と 前のページを開いて調べてみたり・・・・・ そしたら結局ソーニャの事だったので、 「なんでい!!名前は全部統一してくれよなあ〜〜〜!!」と叫ぶことしばし。

(ちなみに私はトルストイとかは挫折したっきりです、今現在も)

そんなこんなで、未だロシア文学には とてもじゃないけど造詣が深いとは言えないkeroであるが、 この「発熱している時に罪と罰を読んだ」経験が、 なぜか私をドストエフスキー大好き人間にしちゃったのである。

「人生は謎に満ちている」とは私のためにあるような言葉である・・・・。

さて。 「罪と罰」は、周知のようにラスコーリニコフの殺人と自供までが 13日間という密度の高い時間と、 サンクト・ペテルブルグのごみごみした空間で起こる物語だ。 考えようによっては一種の推理小説ともジャンル付けられるかもしれない。

小学生の私はこの本をもっぱら推理小説として読んだ。

犯人であるラスコーリニコフが主人公なんで、 当然彼に感情移入して、 彼が予審判事のポルフィーリーに追いつめられるあたりなんかは、 もう完全に犯人側の味方になって、 「自供なんかしちゃあかんぞお〜!心理作戦に負けるな!がんばれラスコ!」 ・・・などと応援しちゃったりしたのである(笑)

特に、その時印象に残ったのは、 ラスコーリニコフが殺人を犯した後、焦燥や不安感にとらわれる辺り。 そのオソロシイまでの心理描写といったら・・・・

見知らぬ男が路地から出てきて、ラスコーリニコフに 「おまえが殺したんだ!」と言う所なんて、 恐怖のあまり「ぎゃあああ〜〜〜〜」と叫んでしまいました。(^^;)

ラスコーリニコフは殺人の後、精神ばかりでなく肉体的にも病気になる。 読んでいる自分も熱出して読んでるわけだから、 その「世界がぐらつくような不安な気分」たるや、 鬼気として迫ってきたもんだ。

小さいころ、発熱して床にふせっている時、 私は天井の木の節目などを眺めつつ、 必ず世界がぐらつくような変な気分におそわれた。 そして妙ちくりんな夢をたくさん見たものだ。 中でも、高いところから落ちていく夢とか、 自分が何か「取り返しのつかないこと」をやらかして、 生と死のぎりぎりの局面に立たされたりする夢だとかは、最悪だった。

言葉ではその「変な気分」というものを説明しづらいが、 人間体力が弱っているときは、精神的にも 深層心理の一番弱い所が露出してくるものなんだろう。

ラスコーリニコフの殺人と、その後の肉体にまで及ぶ不安感、 悪夢のような13日間。 世界がぐらつくような不安な気分。

発熱して寝込んでいる私には、それがなんとなく 「肉体的感覚」として理解できちゃったのだ。

もっとも、当時小学生だった私には、 ラスコーリニコフの悪夢のような13日間は感覚的に理解できても、 作品のテーマとか宗教的な意味なんかは全く理解できなかった。 小難しい人生談義のあたりはさっさと飛ばし読みをしたもんです。(笑)

その後大人になってからもドストエフスキーの作品を色々読んだ。 今度はさすがに作品のテーマとか人生談義なんかも飛ばさず読んだんだけれど(笑) どうしても最初の「罪と罰」体験が大きかったので、 好きになるキャラクターはみんなラスコーリニコフばりの ドストエフスキーお得意・悪魔的人物ばっかり。(笑)

「カラマーゾフの兄弟」のイヴァンとか、 「悪霊」のスタヴローギンとか。 「白痴」だったらムイシュキン公爵よりロゴージンの方が好きだった。

しかし、学校を卒業したあたりから、生来読書家というにはほど遠く、 どちらかというと音楽聴いてぼ〜っとしているほうが多い私は ドストエフスキーはもう卒業だなあ〜などと決め込んで、 あまり読まなくなっていたのであった・・・・

そんな、ドスト文学飽和状態だった私に、 はからずも、またドストエフスキー大好き人生の転機が訪れた。

ドストエフスキーの新しい貌を見せてくれた、その本とは・・・・ じゃーん。 江川卓先生の「謎解き・罪と罰」という本だった。 (野球の人ではありませぬ。ロシア文学の研究家の方です ^_^; )

その本は、ロシア人の名前が日本人みたいにひとつひとつ意味がある、 という興味深い話にはじまる。 (たとえば、マルメラードフはママレードという意味なので「甘井さん」 ソフィアは叡知から来ているので「智恵子さん」とか)

憧れのサンクト・ペテルブルグの地図も細かくのっており、 実際にラスコーリニコフが犯行に及んだ時どこをどう歩いたかとか、 本編ではS横丁とかK通りとかしか書いていない地名は 実際はどうだったとか、 もうオタクごころを十二分に満足させてくれるスンバらしい書籍である!

その本にはさらに、テキスト上の色々なキーワード、 たとえば「罪と罰」の罪とはロシア語の「踏み越える」という意味で、 さらに「踏み越える」という単語が本編のどんな場面で使われていたのか、などなど、 今まで気づかなかった翻訳文学のすき間にぐさーっとメスを入れていただける。

「げっ!!こんな事に気づかずにアタイは今まで 罪と罰読んでたのかあ〜〜〜!」と絶叫してしまいましたぜい。

ラスコーリニコフの名前の由来とかも衝撃的な事実が隠されている、っつうことを その本で初めて知ったのだあ〜〜〜!!!

・・・まあ、あまり書くとネタばれになりますから、みなさん本屋さんに行ってね。(笑) 新潮選書から出ておりま〜す。

さて。 この江川先生の「謎解き・罪と罰」を読んでからというもの、 私・keroは、ものすご〜〜くサンクト・ペテルブルグに行きたくなっちゃったのである。

この本にペテルブルグの詳しい地図が載っているせいもある。 そもそも本編にはペテルブルグの街の雰囲気がものすごく濃密に描かれている。 「罪と罰」のホントの主人公はペテルブルグの街そのものだと感じることもあるくらい。

ネヴァ川でスヴィドリガイロフが見る少女の幻影、 ラスコーリニコフの住む酷く狭い下宿と裏通り。 そしてセンナヤ広場や酒場の雰囲気・・・・

「ラスコーリニコフが殺人を計画しつつ歩いた通り」とか 「ラスコーリニコフの下宿があった通り」とかを ぜひアタシも歩いてみた〜い!!

これはシャーロック・ホームズを愛するあまり、 ベーカー街に旅するホームズおたくと共通する情熱ですねえ〜(笑)

もっともドストエフスキーは人気がないのか、 「罪と罰」の舞台を旅するツアー、なんてものは どの旅行会社にもありませんが・・・・

嗚呼、憧れのサンクト・ペテルブルグ!!! 目が思わずハート型になってしまうkeroであった・・・・・・・

だけど・・・行くには、お金ためなきゃね、まず。 しゅん。(T.T)

てなわけで、今はもっぱら地図を眺めて我慢している私でありました。